買うのを忘れていた『亜人(5) (アフタヌーンKC)』を読んでみました。
今までにない派手な戦闘シーンが冒頭から始まり一気に物語が展開した巻でした。前巻で佐藤が飛行機でビル突入して「衝戟に備えろ!」と叫んだのが、本巻の予告としては「なるほど」って感じです。これまで不死ということで圧倒的な優位性で事件を起こしていた佐藤たちも、人間側の研究が進んでかなりきわどい場面もありこれまでの巻では最もスリリングです。謎に包まれていた亜人の実態も浮き彫りになってきます。
気になったのは、リアリティの部分。「亜人」という設定自体は物語の根幹なんでリアリティがどうこういうつもりはありませんが、この「亜人」というフィクションの設定に対して、これまでストーリーや戦闘シーンなど理詰めで描かれているところがこのシリーズの魅力でもあったのですが、今回はかなり無理があるように思いました。
- 亜人に対して最も有効な麻酔銃でなく「殺し続ける」という選択になったのか
- 「亜人」自体は不死であること、IBMを生成できること以外は普通の人間であるはずが、佐藤の戦闘シーンでは遠くのビルの屋上から佐藤の両手を銃で打ち抜くというゴルゴ13以上の射撃をやっちゃう
前者は多分亜人の対策として「殺し続ける」ってのを思いついたんだと思います。だが、「麻酔銃が有効」とこれまでの巻で出してしまっている。麻酔銃を使わない必然として法がどうこうといういう言い訳を考えてみたというところでしょうか。まさに言い訳で説得力がなさすぎてちょっと脱リキ。
後者は、もう本当にご都合主義的に戦闘シーンをカッコよく描くための設定っぽいですね。
さて、最近こういったダークファンタジー(って言葉や嫌いですが)が流行っているので、ちょっと考察してみました。
「進撃の巨人」「東京喰種」「亜人」なんかが最近人気のいわゆるダークファンタジー系の漫画でないでしょうか。そういえば、懐かしい「寄生獣」も映画化やアニメが始まったのは、こう言った一連のムーブメントと関連しているのかもしれません。
これらの漫画には、共通するコンテキストがあることに気づきます。
- いずれも人類に相対する別の種が存在し人類に対して敵対しているという構図
- 別種は人類に対して個体レベルでは圧倒的な力を持っており、残酷に人間を殺す
- 主人公は、いずれも人類と別種の間に立ち、そのことで窮地に至ったり不遇な境遇に落ちるが別種の力により存在感を増す
人気シリーズが設定はそれぞれ異なるのに、いずれも同じようなコンテキストを使っているのは興味深いですね。
もう少し詳しく見ていると、主人公のキャラクターの設定で2種類に分かれるように思います。
この中で「進撃の巨人」と「東京喰種」は、主人公があくまで善人で種として自分に在り方に悩みながら、その力を生かしてなんらかの貢献をしようとします。「亜人」と「寄生獣」は主人公はあくまで個人としてその利害をもっとも優先しそれがストーリーの展開の源泉となっています。「寄生獣」の主人公は前半は前者でしたが、後半に性格が変わりました(その理由もちゃんとストーリー上説明されています)
古くは子供向けにアレンジされたテレビ版「デビルマン」が前者、永井豪の名作である漫画の原作「デビルマン」は後者でしょう。
個人的には後者の設定のほうが味わい深いです。