読了 『海賊と呼ばれた男』

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米国とイラン「囚人交換」で合意し韓国に残る凍結資産も解除するというニュースで「日章丸事件」という言葉を見て、「そういえば読んでなかったな」とこの本を買いました。

日章丸事件とは

第二次世界大戦後、イランの石油資源はイギリス資本のアングロ・イラニアン社(BPの前身)の管理下にあり、イラン国民や政府に利益はほとんど還元されていませんでした。1951年、イランは石油の国有化を宣言し、イギリスはこれに反発しました。結果として、イギリスはイランへの石油の買付に来たタンカーを撃沈すると宣言し、事実上の経済制裁を開始しました。

この状況の中、日本は戦後の占領からの復興を進めており、石油の安定供給が急務となっていました。出光興産社長の出光佐三は、イランの石油を直接輸入する決断を下しました。極秘裏に交渉を進め、1953年3月23日、タンカー「日章丸」は神戸港を出港しました。イギリス海軍の監視を逃れながらイランに到着し、石油を積み込み日本へと帰還しました。

この事件は、日本の石油輸入の自由化の先駆けとなりました。

個人的にこの時の出光を評価するポイントは、次の通りです。

果敢な挑戦
出光は、国際的な緊張が高まる中、イランからの石油輸入を敢行しました。これは、当時の石油メジャーに牛耳られていた石油業界や国際政治の中での大胆な挑戦として評価されます。
緻密な計画
出光は、イギリス海軍の監視を逃れるための航路の偽装や、国際法上の対策など、事前の準備を入念に行いました。これにより、成功への道筋を築きました。
社会的影響
この事件は、日本の石油輸入の自由化の先駆けとなり、後の石油業界の動向に大きな影響を与えました。出光の果敢な行動は、日本の経済発展のための重要な一歩として、また貧困に喘ぐイランの状況に一石を投じたとして多くの人々から高く評価されます。

ここまで逆風に大胆、かつ緻密に、為すべきことを信じで実行した経営者はなかなか居ないでしょう。

そしてこの出光佐三が『海賊と呼ばれた男』のモデルとなっています。 小説でもこの日章丸事件がクライマックスとして描かれます。

映画も見てみようかなという気になりました。

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