死への恐怖に対面して

カテゴリー:  Life タグ:  前立腺がん
/images/life.webp

がんの宣告を受けてから約2ヶ月が経ちました。 ゴールデンウィークで少し時間があるのでこれまで気持ちをまとめておこうと思います。

がんを認識した直後

前立腺がんの多くの人がそうであるように、私も最初は健康診断でPSAの値の異常がきっかけでした。

前立腺がんが他のがんと少し異なるのは、PSAの値である程度自身の状況がわかってしまうことです。 実際はPSAの値だけでは判断できないこともありますが、私の場合PSAの値がかなり大きかったのである程度自分の状態を予測できました。

Googleを検索しまくって、専門の方が書いている論文や同じような症状の方のブログなどから情報を集めました。調べてる中で、オーストラリアの最新医療に望みをかけていた西郷輝彦さんも、一度完治宣言したにも関わらず前立腺がんで2022年亡くなっているのを知りました。

そうした情報から、自分が「今の医療では、もう完治は望めず死を待つだけだろう」ということがわかりました。

それは、実際の診断結果と大きくずれていませんでした。

最初に感じた恐怖

自分の状態を理解したとき、時間はもはや無限ではないという突然の実感に圧倒され恐怖を感じました。

最初の恐怖の波は、自分が決して経験することのできないすべてのことに気づくことでした。

老後に世界を気ままに旅すること、孫の成長を見守ること、仕事に追われず朝のコーヒーを楽しむこと、そして特に技術が切り開く新しい未来を知ること、これらすべてが突然手の届かないものになること恐怖しました。

新しいものを知ること、自分からも新しいものを誰かに伝えていくことは、多分私の根源的な欲求なのだと思います。それが満たされなくなる状況に恐怖するのです。

残してゆく恐怖

次に自分が往った後の家族の悲しみを思い、重圧に押しつぶされそうになりました。

子供も独立しており、いい年なので家族が経済的に困窮するようなことはないと思いますが、私が息絶えた瞬間を見送る家族、火葬の直前に私の亡骸に花を贈る家族、私がいなくなった部屋で残る年月を暮らしていく家族、これらを思っただけで胸が締め上げられ涙が込み上げてきました。

仕事も一段落でき人生で一番のんびりと家族と過ごせそうな時期を目の前にして、さらに苦しい思いは強くなりました。

死そのものへの恐怖

そして、死、それに伴う痛みへの恐怖です。

前立腺がんのことを調べている中で、同じ病気で2022年10月に亡くなった医師の石蔵文信氏のことを知りました。

石蔵氏は 逝きかた上手 全身がんの医者が始めた「死ぬ準備」 などのがんや死に関する書籍を多数出版されており、がんが告知を受けてからも自身の状況について「人生なりゆき〜シニアのための楽しい生き方・逝き方」という連載をもたれていました。

大往生したけりゃ医療とかかわるな~『自然死』のすすめ 」の著書である医師の中村仁一医師の影響もあったようです。 連載の中でも認知症や老後に体の不自由が出ることを思えばと、常々「がんで死にたい、がんになってその過程で肺炎になったら一番良い」とおっしゃっていました。抗がん剤などを用いずがんになっても自然に過ごしていれば、静かに逝けるという考えの医師だったようです。

最後は、転移したがんの痛みから抗がん剤を受け入れられていたようですし、最後は「中村さんの話と は若干違うような気がする」とおっしゃっていたとか。

最後はやはり痛ましいというのは、最終的に襲ってた恐怖でした。

死の恐怖からは逃れられない

最初の頃、こういった恐怖に嘖まれ、夜眠れなくなりました。眠りは死にゆくイメージと重なりました。

大抵の心配事や不安は、解決策があったり時間が解決してくれます。解決できなくても、その状況から逃げ出すことはできるでしょう。ところが、死の宣告は解決策もなく逃げることもできません。時間が解決してくれることもなく、逆にどんどんと恐怖の刻が近づいてきます。

ずっと恐怖を感じて夜も寝ることもできないので、全く逃げ場がありません。2週間ほど経ったところで、「このままでは精神病むな」と思いました。

少なくとも、夜眠るよう薬を処方してもらおうかと心療内科の受診も考えました。

幸いにしてテニアンを含んだ CHILLOUTスリープショット が意外に効いて夜眠れるようにはなりました。

死の恐怖も慣れる

診断と治療が進むにつれて、幸いにしてこうした恐怖の波が遠のきました。

どうあがいても結末が変わるわけではないので、恐怖がなくなることはありません。今でも時々恐怖で呼吸も苦しくなります。

ところが毎日感じている恐怖は、日常になり「慣れ」てしまうのです。

仕事もあり治療もあるので、ずっと恐れおののいているわけにもいかず日常を強制的に過さねばなりません。 治療が進むうちに、恐怖を感じていても結局結末を変えることができないならば、恐怖の感じ損では?という考えも脳裏をかすめます。

そんな日々を過ごしている内に私は慣れてしまったのです。そして、少しは平穏な日々を送れるようになりました。

仕事や私事でのもめ事や多少の困難でも、前立腺がんで抱えている恐怖に比べると大したこともなく大抵のことに楽天的になれます。残された時間が限られていることから、家族に対してすべての瞬間に感謝するようになりました。小さな喜びにも、以前より意味を見出すことができるようになった気がします。

一時は残された家族が大変だろうと断捨離に走りましたが、今は断捨離を行いつつ今の自分の欲するものも明確になっています。

死についても、突然の死や認知症などと比べると、幸いにして前立腺がんの場合は死ぬまでに年単位では時間が残されています。やりたいことや知りたいことの優先や自分の死に対しての準備を行う時間が与えられていると思うと少しは心が和らぎます。

恐怖は克服できたわけではありませんが、何とか死の恐怖を往なしつつ一日一日を大切にも無駄 [1] にもし、一瞬一瞬に喜びを見いだして生きていこうかなと思います。

コメント

Comments powered by Disqus