小学生時代

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僕だけがいない街 」を見返しました。

漫画の原作もお気に入りだけれど、Netflixには「僕だけがいない街」の動画がアニメ、映画、ドラマ の3種類あ李、ドラマ版はNetflixオリジナルなので見ていたのですが結局以前見たことがあるアニメ 版と映画版も見直しました。

やっぱり土屋太鳳が主人公の声を演じたアニメ版が良いです。

それはともかく、これらの動画を見ていた「自分の小学生時代ってどうだっただろう?」と思い 思い返してみました。

小学1〜2年

生まれた時から公団住宅に住んでいたので、団地内に同世代の子供もたくさんいて 団地中央の公園に行けば常に誰かがいたので友達がいなかった訳ではなかったが、 あまり他の子供と遊ぶのが好きじゃなかった。適当に遊んだら、早々に一人で 団地の外を一人で歩いて回ったり自宅の庭で遊んでいる子供だった。

そういう訳で、小学校に上がって他の地域からやってくる子供たちを見て「面倒臭い」と 思うだけで「友達100人できるかな」などと思う子供ではなかった。岸川くんというほとんど 遊んだことがない同じ団地の子が同じクラスというだけで友達みたいに接してくるのが面倒で シカトしてたので、1学期が終わる頃にはすっかり岸川くんの攻撃の的になっていた。

岸川くんは成績もよくて大人への外面もよかったので、担任の堺先生という 婆さんは岸川くんを擁護する。割と先生という人種を見限るのは早かった。

1年の秋くらいに、初めて犬と触れ合った。それまで犬は怖くて近づけなかった。

団地の近所にテリーとジェリーという犬が2匹よく歩いていた。 野良犬なのか、どこかの飼い犬で放されているのか、今でもわからない。 学校帰りにジェリーという犬と遭遇して、怖くて震えてる僕の手をジェリーが舐めてくれた 瞬間から友達になった。秋から翌年の2月くらいまで毎日ジェリーと遊んでいた。

ところがある日を境にジェリーが来なくなった。

一度道でジェリーと会ったけれど、僕にも吠えかかって走り去っていった。 後に噂でジェリーは保健所に捕まりそうになって、逃げる途中で車に跳ねられたと聞いた。 また保健所が動き出したのは、うちの隣の奥さんが「靴を盗む犬がいる」と通報したからだとも聞いた。ジェリーとの仲は友達や団地の他の子供たちにも慎重に隠していたので、そんな噂が出るのなら本当にそうなのだろうと思った。

その頃から大人をあんまり信用しなくなった。

こう書くと、とてもやさぐれた子供だったように思えるかもしれないけれど、 心の中で思っていただけで荒れたり荒んでいた訳ではない。

小学3〜4年

名前はもう覚えていないが、「かっちゃん」という奴がクラスにいた。

今で言う「いじめ」と言うものを、このかっちゃんが仕掛けてきた。

当時僕は白髪があったので、「白髪」と言うあだ名をつけてきたり、休み時間に 大抵一緒に遊ぶのだが鬼ごっこの鬼をデフォルトで振られたり、プロレス技を仕掛けられたりと言う 感じだった。いつも通り面倒臭いと思っていたことと、先生ってものも当てにしていなかったこと、 それにそもそも友達とか面倒だったので大して「いじめ」も苦でなかった。

学校でお楽しみ会か何かをやるときに、祖母に買ってもらった光センサーで当たり判定をする ライフルと的のセットを学校に持っていた。かっちゃんが気に入って欲しいと言うので あげてしまった。光センサーがいい加減で、真っ暗闇でゲームするか光が出るライフルの先を 的に密着させないとちゃんと判定しないので、祖母には悪いが僕の中ではすっかりゴミだったからだ。 これを見ていた女子が先生にチクったらしく問題になった。 親も呼び出されたが、そこそこ高価なおもちゃをパクられたってことで結構大ごとになった。 母親も怒り心頭でかっちゃんの家に案内させられて、怒鳴り込みに付き合わされた。 このかっちゃんの母親というのもこの子にしてこの親ありという感じで、挨拶もまともにしない、 玄関にもで来ずに奥からタバコふかしながら怒鳴り返して来たっけな。

母親を見てかっちゃんがかわいそうという気持ちはあったが、多少ともかっちゃんから迷惑を 被っていたことも事実なので、よい機会とばかりに一応復讐ということはやった。 意図せず「被害者」という立たされた訳だけれど、たっぷりと被害者を演じた訳だ。 クラス内でそこそこ人気者だったかっちゃんだが翌日には「よい子」の女子どもに 「いじめっ子」のレッテルを貼られ、3日後にはクラス中の顰蹙と非難を一身に浴びていた。

さらに仲直りを装いかっちゃんを挑発して更に「被害者」を演じると、正義を振りかざしたい クラス中の子供たちがかっちゃんを迫害した。周りの目がないところでかっちゃんを 殴ったりしてみたが、すぐにかっちゃんは反撃してこなくなった。あまりに周りの 非難の目が厳しかったからだ。 「いや、僕はこんなにひどいことされた訳じゃないけど」と思ったけれど、まぁ楽しかった。 かっちゃんはその後学校に来なくなって、復帰に2ヶ月ほどかかった。

その後、かっちゃんの記憶がほとんどない。確かにクラスにはずっといたと思うのだけれど。

そういえば、それまでは補助輪を外したガキ用の自転車をずっと乗っていたが、3年生になった頃に ちゃんとした自転車を買ってもらった。一気に世界が広がって嬉しかった。

この頃は同じ団地に住む下地くんとよく遊んでいた。 二人で自転車で走り回って、団地からかなり離れた場所にいくつも秘密基地を作っていた。彼は母子家庭で、当時はわからなかったが名前から沖縄の出身のようで家庭は色々大変だったようだ。そういう背景をもった友達も、それまではあまりいなかったので子供ながらに色々と考えさせられた。

5年生になったばかりの頃に生まれた街から太宰府という街に引っ越したのだけれど、 最後の日まで遊んでくれたのも下地くんだった。よく遊んでいた 当時諸岡山と呼ばれていた岡のようなところに 近くに掘っていた「秘密基地」を最後の日に二人で証拠隠滅したのを覚えている。 でも細かな記憶が曖昧で、「秘密基地」に下地くんも埋めた気もするし、諸岡山にあった 神社の本殿に下地くんを閉じ込めて帰ってしまった気もする。そのまま引っ越してしまったので、 その後のことはわからなかった。

この諸岡山は以前から弥生時代の甕棺や銅剣が見つかっていたが、当時はそんな古墳みたいな 場所だとは知らなかった。大人になってからだが、何年か今でも発掘が進んでいるというニュースを 目にした。

下地くんが発掘されないように祈るばかりだ。

小学5〜6年

太宰府に引っ越した。

こんなアウトサイダーな人なのだから「転校」というイベントで更にアウトサイダー化が 進むのかと思ったが、引越し先が新興住宅地の一戸建てということもあり子供通しの 繋がりの濃度も「団地」ほどでなく、意外にも以前よりも普通に過ごした。

相変わらず周りに関心がない子供だったが、確か初日か2日目に田子森くんという こと殴り合いの喧嘩をした。何かで田子森くんが絡んできたので、この辺りの流儀なのかな と思い、一度くらいはやっておくかという感じだったと思う。喧嘩慣れしてる訳でもなく 終わり方がわからなかったので椅子で田子森くんを殴り倒して終わろうと思って椅子を振り回したら、1発目で教室の窓ガラスを割ってしまい、2発目で椅子をぶっ壊してしまった。

田子森くんがぶっ壊れなくてよかったと思う。

引越し直後は、元の団地の集会所でやっていた英会話に太宰府からしばらく通っていた。 当時「刑事コロンボ」の単行本を読みながら西鉄電車で通うのが楽しみだった。 ある日英会話から帰ろうと駅に向かっていると、踏切の人身事故で西鉄電車が止まっていて 帰れないということがあった。僕は一目散に事故現場の踏切に向かった。 周りの野次馬連中がひどい事故で轢かれた親子はミンチ状態だと話しているのを聞いたからだ。 ところが、途中で警官なのか消防士なのか覚えていないが、何か制服を着た大人に捕まって 願いは叶わずじまいだった。

車で迎えにきた両親は子供の僕にあまり酷い事故のことを話さないように気をつけているようだった。 僕は車の中で仕方なくお気に入りの「刑事コロンボ」を読んで、当時人気だった小池朝雄の 声色を真似てセリフを読んでいた。 確かにコロンボの殺人シーンはリアルではない。

一戸建てを買ったので、父親が秋田犬を買ってきた。「紫路」と書いて「シロ」と呼んでいた。 真っ白な秋田犬だったが、父親のネーミングセンスを疑ったものだ。

当時周りは未開発の山や林が残っていたり、土地造成だけやってまだ家が立っていないところが たくさんあり、シロを連れて1時間ほど散歩して時々首輪を外して走り回らせてやった。 家に帰って散歩して過ごすことも多く、アウトサイダーとしてはいい口実だった訳だ。犬と ぶらぶらしているのは気楽なもんだった。

当時、近所に佐藤くんという同級生がいて、一番最初に友達になった。 近くにカブトムシやクワガタ虫がいる木があるというので早朝いつも付き合わされた。 スズメバチ(この時がスズメバチ初体験だった)がぶんぶん飛び交う中の虫取りに 僕はうんざりしていた。でも、その木から見える近くの短大の女子寮の窓には釘付けになったものだ。 いつしか僕と佐藤くんはおもちゃの双眼鏡を携行することになった。

太宰府小学校というところに通っていたのだけれど、給湯場のようなところがって 熱々のほうじ茶が出ていた。給食時間なんかにそのほうじ茶をでっかいヤカンに入れて 教室まで運ぶという仕事があった。あの湯気が燻る様とほうじ茶の香りは今でも覚えている。

学校は高台にあり坂道を登って登校するのだけれど、坂道から校庭にかけて見事な桜の木があり 春には本当に一面桜だった記憶がある。その坂道の手前は川が流れていて橋を渡って学校に行くのだ。とても趣のある情景だったように思う。

冬休み前の終業日に橋のたもとでみんなに「あそ坊」と呼ばれていた精神異常のおっさんに ちょっかいかけて通信簿が入ったランドセルごと川に投げ捨てられたのはいい思い出だし、 卒業式のあと友達と帰った時に見た満開の桜は今でも時々思い出す。

思い返してみると

こう思い返してみると、今と思っていることは実はあまり違わないんだな思う。 子供なので、思ったことをどう表現するかが違うだけで物事の感じ方や それに対する思考って大して変わってない。

「僕だけがいない街」の主人公のようにタイムリープしたとして、 大人の知識を踏まえて判断や対応の仕方は多分変わるのだろうけれど、 性根のところではあまり変わらないだろうとも思う。もっと達観するか、もっとズルく生きるか。

いずれにしても、ろくな人間じゃないことを改めて思い知った。

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