「雨が気が狂ったように降っている」

カテゴリー:  Trivialities タグ:  wordplay

知り合いの方が「雨が気が狂ったように降っている」と呟いていました。正確には、

雨が気が狂ったくらいの勢いで降っている。

そういう言い回しは私も使いますし、文章としてもおかしくはないんですが、ふと 「この文章において、気が狂っているのは誰だ?」と考えてしまった瞬間から あれこれと考えてしまいました。

雨って何よ?

「雨が気が狂ったくらいの勢いで降っている」というのは、もちろん「激しく大量な 雨が降っている」という状態を表した文章です。

文章を修飾と本体(?)に分解すると(A)「雨が降っている」と(B)「気が狂ったくらいの勢いで」 に分解できます。(B)は(A)の「降っている」を修飾しています。

そして(B)の文章は更に「勢い」を「気が狂ったくらい」が修飾しています。当然この 「気が狂う」という文章の主語は(A)の文章と同じく「雨」と想定できます。そして、 この「気が狂ったように」というのは、「激しく大量に」という様を比喩しているのだと 思います。

何を悩んだかというと、「 雨って何なんだ!? 」です。

(1)「雨」をあの 天から降ってくる水滴一つ一つ だと考えてみましょう。

(A)では「降っている」と いう主語になっていることから、「雨」=「天から降ってくる水滴」というのはあながち 間違っていないと思います。しかし、いくら激しい雨でも一つ一つの水滴はさほど変わらない はずです。大量の「水滴=雨」が降っているから激しいのであって、「水滴」自体が猛烈 なスピードで落ちてきたり、巨大な水球となって落ちてきたりするのではありません。 従って「雨=水滴」に対して「気が狂ったように」とか「激しく」とかはそぐわないのではないか と考えてしまったためです。この概念で言うならば、「私が気が狂うくらいの雨が降っている」の ほうがピンと来る感じがします。この場合「気が狂う」のは降られている「自分」です。

(2)では「雨」を 水滴が天から降っている状態 と考えてみましょう。

これも一般的な私たちの感覚からズレていないと思います。しかし、この考え方だと(A)の 主文が既におかしいのです。(A)をこの概念で言い換えると 「水滴が天から降っている状態(雨)が降っている」となります。「水滴が天から降っている状態 (雨)だね」なら分かります。この概念で元の文章を言うと「気が狂ったような勢いの雨だね」ならば しっくり来るでしょうか?

(3)「気が狂った」のはそんな勢いで 雨を降らしている「誰か」 と考えることは出来るでしょうか? 例えば、天神様とか。

その場合は主文(A)と修飾の(B)の主語が同じと考えると、(A)「雨を降らせている」でなければなりません。その場合、「(天神様が)気が狂ったような勢いで降らせている」だとしっくりきます。

ここまで考えてくると、日本語の場合主語がよく省略されるということに思い至ります。

そうすると、こういう文章が見えてきました。

(天神様が)気が狂ったような勢いで雨が降っている。

(1)と(3)の合体です。

つまり、「天神様が雨を降らす」というアニミズム的な概念を背景として、その天神様が 狂ったから、物理的な現象として「雨が激しく降る」という考え方です。

なんと日本的な表現なのでしょう。

と、なんだかどうでもいいことを一人で考えつつ、1周回って自分で納得していました。

ほんと、どうでもいい。

コメント

Comments powered by Disqus