「青春の一冊」:『林檎の木 (Apple Tree)』ジョン・ゴールズワージー
青春がどうとかこうとか書くと大げさですが、中学3年の頃読んだノーベル賞作家ジョン・ゴールズワージーの『林檎の木』を読み直したのでお題に合わせて書いてみます。
読んだきっかけ
中学の頃、貪るように本を読んでいました。日本の小説はほとんど読まず、海外の小説ばかりを読んでいました。もう目につくものを手当たり次第読んでいました。
この本は図書館で借りたのですが、友人から"Apple Scruffs"という曲が入ったジョージ・ハリソンのアルバムと林檎の絵が入ったBeatlesののアルバムを前日借りて返した日で「林檎」が頭に残っていたからにすぎません。
ジョン・ゴールズワージーが誰かも知らなかったし、この作品も知りませんでした。
情景の美しさ
読んでみると、ワーズワースを想起させるような情景の描写の美しさにとても共感してしましました。
特に夜の情景です。
見ると、頭の上のほう一面に、生き生きとした白いものがぼんやりかすんでいた。微動だにしないくらい木々の上では、無数の花のつぼみが柔らかくぼんやりとかすみ、忍び寄る月光の魔術によって、生き生きと生彩を放っていた。
林檎の木・小春日和
その頃、自宅で白くきれいな秋田犬を買っていて、夜の散歩はわたしの仕事であり日課でした。受験に向けた勉強も始めていたので、散歩は深夜に行くことも珍しくありませんでした。住んでいたのは福岡の新興住宅地で、周りは開発が終わっておらずちょっと足を延ばすと更地で草木が茂っている場所や、林もたくさんありました。
当時、柴犬を連れた年上の女性とよく散歩で一緒になり、話をするようになりました。多分大学生か、もうOLといった年だったと思います。
わずかな外灯と月明かりしかない道をよく二人で散歩しながら、犬の話や学校の話など取り留めのない話をよくやっていました。夜に舞う桜の中、提灯だけ残った町内会のお祭りの後、虫の音しか聞こえない満月の蒼光の中、北風が吹く寒空の中、二人でよく歩きました。
当時の夜の美しさとこの女性への憧れと幸福な時間が、この小説の情景とわたしの中では重なって記憶されています。
十代の恋
当時、何か恋愛めいたものに発展するにはこちらが子供でしたが、とても姉弟のように親密でした。当然、男の子なので憧れはありましたから、この小説を読んで「きっとこの主人公がムアで体験した時間はこんな時間だったんだろうな」と思いました。
そんな日が2年くらい続いた冬のある日、雪がしんしんと降っている中二人で雪を踏みしめて歩いている中、「名古屋に行くことになった」と言われました。結婚を約束した外人の彼がいて、親に反対されているので、二人で駆け落ちするとのことでした。
特にコメントできず「じゃ、おやすみ」とだけ何事もなかったように答えて帰りました。
恋とも呼べないものですし、あちら側は単に散歩で会う近所のガキという認識だったと思います。なのに、当時は何かその方に裏切られたように思い、相手に落胆を感じていました。
その後、本当に駆け落ちされて何度か名古屋からハガキが来ましたが、だから一度も返事をしませんでした。そして何年か後に連絡が途絶えてしまいました。
本当は悲しくいじけていただけだと思います。
年月とともに、ただ、楽しい時間を共有してくれた相手、「駆け落ち」をきちんと話してくれるほど信頼してくれた相手に、「なぜ、祝福とまでいかなくても、ちゃんとお別れを言ってあげられなかったのだろう」という後悔が深まっていきました。
今ではこの主人公と同じような歳になって、「夜の散歩」を思い出すことは少なくなりました。が、時々思い出されるその思い出の重みは大きくなった気がします。それだけに、その後その方がどういうその後どんな人生を送ったか思いをはせることはあります。でも、決して知ろうとは思わないでしょう、今後も。