猿でも考える「猿の惑星 新世紀」

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「猿の惑星 新世紀(ライジング)」を見ました。

原題は”Dawn of the planet of the apes”。「猿の惑星の夜明け」かな。前作が”Rise of the planet of the apes”なので、さらに猿の惑星に近づいたってとこでしょうか。1960年代の旧シリーズを別な形で下敷きにしています。ティム・バートンが10年ほど前に作った作品とは全く別もので、前作が起点になって今回が2作目となっています。

旧作は3部作で時間で閉じているストーリーと第1作の衝撃の結末シーンでも印象的でしたが、前作から始まったシリーズも重厚でなかなか頑張っています。

今回は冒頭の10分くらい人間から離れて独自に集落を作っている猿たちの暮らしが描かれていますが、その間手話のみで全く会話がないシーンが続きます。本来は観客を引き込むためにも冒頭はもっとキャッチーなシーンや、前作のその後がもっと鳥瞰的にわかるエピソードを入れたいという誘惑があったでしょうが、ある意味地味に猿の生活が長時間描かれています。これはとても勇気がいる決定だったはずです。しかし、圧倒的なリアリティーで描かれる猿たちの安定した生活は、その描写でもって前作以降の時間がどう経過したか嫌が応でも観客は感じることになります。これだけでも見た甲斐があったと思います。

まぁ、その後は猿と人間の戦いになるのですが、8割がた猿の視点で描かれているのが特徴的です。旧作も猿は第三勢力の象徴とかいろいろと社会的なニュアンスを含んだ作品でしたが、今回もそれを感じます。

そして、後半でのシーザーの言葉がいろいろと考えさせられます。

Dawn of the Planet of the Apes: The Official Movie Novelization" title="Dawn of the Planet of the Apes: The Official Movie Novelization"> I always think… ape better than human. I see now… how much like them we are.

『 Dawn of the Planet of the Apes: The Official Movie Novelization

最終シーンでは、集団の意思、つまり政治とは個人の思いだけでもなんともならない場合もあるということがよく描かれています。冒頭シーンと同じようにシーザーの顔のアップでエンディングを迎えますが、冒頭シーンでは酋長だったシーザーがエンティングでは政治家の顔になっているのが印象的でした。

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