書評:葬式は、要らない
書評
残りの時間を考えると、自分の死に方や死んだ後のことを決めておく必要があると思い購入しました。
最近は家族葬や葬式すらあげない直葬というのも増えているというので、 「葬儀に金をかけるのは無駄」的な内容を想像して購入しました。
確かに各所で「日本の葬儀費用は世界一」ということは繰り返し出てきます。この印象で「もう葬儀は不要である」という主張の本であると誤解されている方も多いようです。
実際には、きちんと歴史的な背景や日本人のバックボーンにある宗教観や思想的傾向から探りながら 「なぜ日本の葬儀費用が高いのか」を説いた上で、それを本当に必要としているかを考えさせられる内容になっています。
うちも母方の実家が浄土真宗大谷派系のお寺なので、仏教的には本当は「墓」とか違うんだろうなという感覚はあります。 ちゃんと学んだわけではありませんが、人の死に対しての仏教の基本的な考え方は六道輪廻で生まれ変わるのか、浄土に行くのかは別にして、現世と違う世界に行ってしまうというものだから「墓」というのアジア的な祖先崇拝の名残なんだろうと。
しかし、「なぜ日本の葬儀がこんなに高価なのか」あまり考えたことがありませんでした。
この本で紹介されている説をざっくり説明すると、
- 仏教が入ってきても長らく葬式と結びつくことはなかった
- 密教の世界観が持ち込まれ、浄土宗の広がりと共に美しい死後の世界である「浄土」への憧れが一般化し、平家が平等院を立てたように、葬式の祭壇のように豪華に飾ることを志向する要因となっている
- 降って祖先崇拝に重きを置く儒教に汚染された禅宗が導入され、本来修行半ばでなくなった僧侶の葬式方法を在家に適用することが行われ仏式葬式が広まるきっかけとなる
- この方式の中で亡くなった在家信者を一度出家したことにするため、出家者の証である「戒名」を授けることが現在の「戒名」の起源である
- これらが江戸時代の寺請制度と共に一気に全国に定着して行く
どれも「なるほど」というもので、本当は学校の歴史でこういうことをやってほしかったと思います。
そして、明治以降、特に戦後の社会環境の大きな変化に伴う寺との関わり方と葬儀の変化や、それらに影響され今日の葬儀の形態の一つの背景である仏教寺院の経済的背景が説明されます。
こういうことを示した上で、旧来の檀家制度に基づき戦後の急な高度経済成長期に定着した葬儀のあり方を継続することを 批判しているわけでなく「贅沢」と呼んでいます。
葬儀のあり方の変える一つのオプションとして「葬儀をやらない」という選択肢も現代はあり得ること、具体的ないくつかの方法を示してくれています。
つまり、歴史とその背景や理由を知った上で、葬儀に対するとCost Justifitcation を考えた時に見合うかという問題提起をしてくれている良書だと思いました。
自分の時は
さて、自分の時はどうしようかと。
- 病院だとどこかに運ばねばなりませんので、どうか葬儀業者に依頼して下さい。体液の処理なども慣れたものです
- 死後24時間は置かねばなりません。雰囲気が出ないので、ろうそくとか線香は適当にお願います
- 坊さんはいりません。読経も不要です
- 通夜は3親等くらいで結構です。押しかけてきた親戚は面倒なので受け入れてもよいです
- 坊さんの親戚の坊さん活動はボランティアでも不要です
- 告別式も葬儀も不要です。24時間経ったら、そのまま燃してください
- 火葬後は希望的には遺骨はそのまま処分してください。気持ちが収まらないなら、一部だけ持ち帰って粉骨してもらって、どっかに撒いてください